By Artfarmer2026年5月1日
アドラー心理学における「ライフスタイル」は、日常的な「生活様式」とはまったく異なる概念である。それは、その人が自分自身や世界、そして人生に対して持っている独自の信念体系であり、思考・行動のパターン全体を指す。一言で言えば、「性格」や「生き方の指針」のことだ。
アドラーはこれを**「曲線の等式」**に例えた。数学の等式が決まればグラフ上のあらゆる点がその法則に従うように、ライフスタイルが決まれば、食事の仕方、仕事への向き合い方、人間関係のあり方まで、人生のあらゆる場面に同じ法則が現れる。
このライフスタイルは、主に幼少期(おおよそ10歳前後まで)に、その環境の中で「どうすれば生き抜けるか」を自分なりに判断して選び取ったものとされる。遺伝や環境によって強制されたものではなく、自らが選んだものである。だからこそ、いつでも「選び直す(再選択)」ことができるというのがアドラーの立場だ。
アドラーは著書『性格の心理学』の中でこう述べている。
性格は、決して、多くの人が考えているように、生得的で、自然によって与えられたものではなく、人に影のようにつきまとい、どんな状況においても、あまり考えなくても、統一された人格を表現することを許すガイドラインに比べられるものである。
この一文は、「ライフスタイル」と「性格」の関係をきわめて鮮明に表している。
性格とは、ライフスタイルという「根底にある等式」が外界に接したときに地面へ映し出される影のようなものだ。影は本体から離れて存在できない。同じように、性格もまた、ライフスタイルという生き方の指針から切り離すことはできない。
ここに重要な構造がある。
性格は「生まれつき変えられないもの」ではなく、ライフスタイルという目的を達成するために後天的に獲得した「道具」にすぎない。だとすれば、怒りっぽいとか引っ込み思案といった個別の性格を矯正しようとする試みが、なぜしばしば空回りするかがよくわかる。根底にある「等式(ライフスタイル)」が変わらなければ、一つの性格を抑えても、別の形で同じ目的を果たすための性格が現れるだけだからだ。
鏡に映る自分の表情を指で無理やり変えようとするようなものである。
ここにアドラー心理学の核心がある。それが**目的論(テレオロジー)**だ。
一般的な心理学(決定論)では「過去にこういうことがあったから、今の性格になった」と考える。しかしアドラーは違う視点を持つ。人間の行動は「過去の原因」によって引き起こされるのではなく、「未来の目的」に向かって選ばれている、というのだ。
性格がライフスタイルに影のようにつきまとうのは、その人が無意識のうちに掲げている「人生の目標(等式)」を達成するために、その性格が最も効率的な道具として機能しているからだ。「注目されたい」というライフスタイルを持つ子が、家では「手伝いをする良い子」として振る舞い、学校では「騒ぐ問題児」になることがある。手段は正反対でも、目的(注目を得ること)は一つだ。
だから、真の変化は「性格を変えよう」と格闘することからではなく、「どのような目的(ライフスタイル)でその性格を使っているのか」に気づくことから始まる。
宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』の中でこう述べた。
永久の未完成、これ完成である。
この言葉は、アドラーの目的論と深く共鳴する。
ライフスタイルはいつでも「再選択」できる。つまり、私たちは人生のどの時点においても「未完成」であり、常に新しい「等式」を引き直せる可能性の中にいる。「完成しなければならない」という執着を手放し、絶えず変化し続けるプロセスそのものを肯定する——その姿勢こそが、賢治の言う「完成」の境地に近いのではないか。
しかし、ここで一つの問いが生まれる。
「死とは完成なのか」
否。死は完成ではなく、未完(未了)のまま終了することだと思う。到達可能なゴールを目指して生き、そこに達して幕を閉じるのではなく、探究の途上、変化の渦中で、ふっと生が閉じられる。それが人間の実相だ。
だとすれば「目的が永久の未完成という状態そのものである」ということになる。完成させなければいけないと考えるより、未完のままでいいと考える。そして絶えず未来を考えて生きる——これこそが目的論の深みだ。
私たちは皆、流れる時間の一部を生きているにすぎない。死んでしまえば、未完のまま終了する。それを受け入れることは、心を驚くほど楽にしてくれる。
個人の等式(ライフスタイル)は、死とともに消えるのではない。アドラーが「共同体感覚」と呼んだように、その人が他者や社会に与えた影響や貢献を通じて、等式の一部は生き続ける。
本体が消えても、その人が生前に描き続けた「等式(法則)」は、書かれた文章や、育てた土や、受け取った人の記憶という鏡の中で、新しい影を落とし続ける。
未完であるからこそ、それを受け取る未来の誰かにとっての「考える余白」となり、「新しい等式の種」となる。
アドラーが「ライフスタイル(性格)はいつでも必ず変えられる」と言い切った理由は、それが宿命ではなく、自らが選んだ「スタイル(様式)」だからだ。今の自分に合わなくなったのであれば、勇気を持って「新しいスタイル」に更新できる。
そして、その更新を死の瞬間まで続けることこそが、「永久の未完成」という最も豊かな生き方の形なのだと思う。
完成という終止符を打つ必要はない。死の瞬間まで「未完の続き」を楽しみ、未来を眼差し続ける。その自由でしなやかな等式——それが人生という曲線の、最も美しい描き方ではないか。
literacy is the strongest medicine
リテラシーこそ最強の薬である